若山牧水歌碑 |
「幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく 」 牧水歌碑第1号として、昭和4年秋、建立。この歌は明治40年、牧水が早稲田大学英文科学生の時に岡山県二本松峠を越えながら詠んだ。 毎年10月、(社)沼津牧水会の主催で開かれる碑前祭の際には酒を注いで牧水を偲んでいる。 |
明石海人歌碑 |
明石海人(本名 野田勝太郎)は明治34年、現在の沼津市に生まれ、駿河湾と千本松原を遊び場に成長した。その後、現・片浜小学校から県立沼津商業高校を経て、静岡大学に学び、卒業後教員となる。しかし、当時業病と蔑まれたハンセン病を発病、妻子と別れ故郷を離れ、療養地を転々とした後、岡山県の小島に建設された国立療養所「長島愛生園」に隔離収容される。 長島での闘病生活では、ハンセン病の三大受難と言われる知覚麻痺、失明、気管狭窄に襲われながらも文学を志し、歌人としてたゆまぬ精進を続けていった。昭和14年月2月、死の瀬戸際に出版された歌集『白描』は、ベストセラーとなるが、同年6月9日、孤高の歌人はわずか37歳の生涯を閉じた。 この歌碑は、逆境を克服し、偉大なる文学を彫琢した郷土の詩人を畏敬し、病気に根ざす社会の偏見差別を是正するため明石海人生誕百年を記念して、平成13年7月5日に、母校である静岡県立沼津商業高等学校の校庭の歌碑とともに建立されたものである。 |
乗運寺(若山牧水墓) |
千本松原をこよなく愛した歌人・若山牧水の墓、寺内で「斯道会」という漢文の講座を開いていたという池谷観海の碑などもある。 |
井上靖文学碑 | |
大正11年浜松中学から沼津中学の2年に転校してきた井上靖は、青春時代を沼津で過ごした。この頃の様子は、自伝的小説「あすなろ物語」「夏草冬濤」に詳しく書かれている。 芥川賞によって中年から文壇に出て以後、数々の作品を残した功績をたたえ、昭和38年に文学碑が建てられ、平成4年3月に建て替えられた。 |
若山牧水記念館の沼津垣 |
若山牧水記念館の周囲は沼津垣で囲まれています。沼津の風土に育まれた沼津垣は箱根竹で作られ、美しい模様を描いています。 |
西伊豆航路発着所 |
沼津より西伊豆へ行くための船の玄関口です。 海から眺める西伊豆の景観と美しい駿河の海は多くの人を魅了しています。 |
沼津港飲食店街 |
この駿河湾の獲れたての魚を味わえます。 またお土産には日本一の沼津のひものをどうぞ。 |
沼津魚市場 |
沼津は西伊豆の玄関口と同時に駿河湾の魚の集積地。 全国有数の水揚げを誇る沼津魚市場には連日各地から新鮮な魚介類が水揚げされています。 |
勝田香月記念碑 |
勝田香月は明治32年駿東郡沼津町本町に生まれたが、大正2年の大火後、大宮町(富士宮市)へ転出。23歳の時「出船」を載せた詩集「心のほころび」を出版した。また、昭和4年29歳で東京市中野町会議員に当選、その後政治家として社会民主運動に貢献した。通信講座の草分けでもある。昭和41年、67歳で死去した。この「出船」の歌は、香月18歳の時の作品である。碑は昭和56年4月に、香月会により建てられたものである。墓は東熊堂の大泉寺にある。 |
本居長世記念碑 |
明治18年東京に生まれた本居長世は、江戸時代国学者本居宣長の6代目の子孫で、「赤い靴」「十五夜お月さん」「七つの子」「青い目の人形」等、たくさんの童謡を作曲して、日本の童謡の父と言われている。昭和20年死去。 碑は伊豆湯ヶ島の柿木石で、上部に西条八十作詞、本居長世作曲の童謡「残り花火」の一節が楽譜と共に刻まれ、下には、国語学者金田一春彦の書で 『作曲家 本居長世は 沼津をこよなく愛し 毎年夏にはこの地を訪れ 海辺の生活を 楽しんだ 春彦書』 とあり、横の副碑には「七つの子」「赤い靴」「汽車ポッポ」など16曲が、作詞者名と共に刻まれている。 |
我入道海岸 |
狩野川河口に発達した砂浜の海水浴場で、遠浅で水も澄み、沼津の海水浴場の穴場です。 約2キロの海岸線の内400メートルが海水浴場に指定され、キス釣のシーズンには釣客で賑わいます。 |
我入道の渡し |
全国的に姿を消しつつある、渡し舟。庶民の足として身近な交通機関であった渡し舟は、かつて、市内を流れる狩野川でも利用されていました。 河口付近で運行されていた我入道の渡し舟は、昭和46年まで続き、港大橋の完成でその役目を終え廃止となりましたが、平成9年4月に復活しました。 千本浜から志下海岸までの、水辺を歩く文学探訪の道「文学のプロムナード」。そこに彩りを添える我入道の渡し舟。情緒たっぷりのこの渡し舟に乗ってみませんか。 |
芹沢光治良生誕地跡 |
我入道1番地(旧楊原当時の地番、現在は我入道東町143)、芹沢光治良生誕の地である。 明治29年に生まれ、中学卒業までの多感な時期をこの沼津で過ごしている。 |
芹沢光治良記念館 | |||||||||||
芹沢光治良記念館は、沼津市我入道で生まれ、日本の文学界に大きな足跡を残した芹沢光治良を記念して建設されました。95年の生涯と、「人間の運命」、「巴里に死す」など日本を代表する芹沢文学の貴重な資料が展示され、芹沢文学を知る上で、欠かせないところとなっています。 | |||||||||||
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芹沢光治良文学碑 | |
「ふるさとや孤絶のわれをいだきあぐ」 名誉市民となって間もない昭和57年、同じく我入道海岸に建てられた。 |
歴史民俗資料館 |
沼津市歴史民俗資料館は、沼津市の西南に位置し、潮騒と松籟の醸し出す静かな雰囲気のあふれる沼津御用邸記念公園内にあります。 1階展示室では1年に4回ほど開催される特別展や子供向けの図書やパソコンコーナーを設けてあり、2階展示室では常設展示として、駿河湾を中心とした漁具類や沼津の地場産業となった干物作りの道具、江戸時代に沼津の名物だったカツオ節作りの道具、原・浮島地区における湿田農耕関係の資料を展示しています。 |
牛臥・島郷海岸 |
松原越しに富士を眺望する景観はすばらしく、広々とした御用邸前の海岸線は、「渚百選」にも選ばれました。 |
びゅうお | |||||||||
沼津港大型展望水門「びゅうお」は、静岡県が津波対策として建設した水門に、沼津市がその高さを生かし、展望施設を設けました。 この地上約30mの展望施設には、両岸に設置したエレベーターで昇ることができ、富士山、大瀬崎、沼津アルプスなど東西南北360度の展望を楽しむことができます。 |
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牛臥山公園 |
展望台に昇ると、西は駿河湾越しに三保半島や南アルプスの山々、南は大瀬崎から、伊豆の連山まで見渡せるすばらしい眺望が広がります。 また、水遊びができる幅180m以上の砂浜もあり、駐車場や公園西側の広場へ渡る通路にはスロープを設けるなど、小さいお子さんからお年寄りの方まで、安全・安心にご利用いただけます。 |